ご案内
他人との関係において傷つくことを恐れ、傷つけることを恐れて、「いい人」になってしまう結果、自分を見失い、自分の本音すらわからなくなるような状況を変革したいというところにあります。
「いい人」、それはすぐに人の立場を考えて気を使い、自分を犠牲にしてしまうようなタイプの人といえるでしょう。
「ノーと言えない人」 「真面目で純粋な人」 「めんどう兄がいい人」「謙虚な人」──。
ひと言でいえば、やさしいのだろうと思います。
そんなやさしい人たちが、心を病んで私の病院にもおおぜいやってきます。
彼らを見ていて1様に感じるのは、やさしさの裏側にひそむ「弱さ」です。
というのは、自分が傷つけられたくないから人にやさしくするという、屈折した心理が見え隠れするのです。
古今東西、やさしさは善とされているものです。
少なくともやさしさを否定する文化はないと思います。
しかし、そのやさしさの中身が問題なのです。
自分は傷ついても、自分がよしとした主張を貫く強さを持ったやさしさを、彼らに身につけてほしいと願わざるを得ません。
そしてまた、精神科医としての私がむしろ心配するのは、「いい人」といわれている人が、社会の片隅に身をおきながら「私はなまじ人がよくて、いい人間だからかえって世の中でうまく成功せず、失敗ばかりなんですよ」などと、弱々しく弁明してしまうことです。
これは決して本来的に「いい人」 の言葉ではありません。
先に述べた人は、自己愛的潤みにすねているのです。
このような「いい人」 にこそ、うつ病や不安障害が多く発生するものなのです。
自分が弱いならば弱いなりの力で、堂々と外へ出てゆき、生きられる力、生きる技術、生き抜くストラテジー(戦略) を学ぶべきだと思うのです。
私たちは、本来自分の本性を曲げてまで生きるわけにはいきません。
だからその点は自己主張しながらも、必要な妥協はして生き方を探るのです。
それが結局は人間の自己形成に必須の養分となり、結果的にその人が信用を得て人々の役に立つことになるのです。
だから、初めからしっかりした人間になろうとか、嫌われない生き方をしよ,うなどとモットーを掲げる必要はありません。
ただ自分の自然な心の流れを見つめてその本質に沿って生きる、それがすべてなのだと思います。
では、その本質とはなんなのでしょうか。
それは、いろいろな人たちと話し合い、ぶつかり合っていくうちに見えてくるものです。
それを避けて、ただ漫然と生きていても見えているものではありません。
人とぶつかり合いへ議論し合うということは、その人を鏡として自分を見ていることを意味します。
そうすることによって自分がだんだん見えているわけです。
だから、ぶつかり合うことを恐れてはいけません。
私たちは自分の本来性に忠実に生きようとすべきであり、そのためにはぶつかり合うことを避けて通ってはいけないこともあるでしょう。
人とぶつかり合って本音で議論をしていけば、必ず抽象的ではない自分の本来性というものを肌で感じているはずです。
そのためには、いい意味での敵、ライバルを作ることが大事です。
自分とは違う生き方をしている人をいつも念頭に浮かべ、その人と対話することも大事なペース作りです。
敵、ライバルとはそういう意味なのですが、そうすることによって常に自分と彼の生き方を対比することができる。
それが自分の生き方を作ってくれるのです。
それは高級なる遊びだと思います。
現代は、そのぶつかり合いを避けることによって人間関係が希薄になり、人々のアイデンティティが弱体化しているところにさまざまな問題が噴出しているという時代です。
だから傷つくことを恐れず、私たちは勇気を持って、人ないし願わくば友人と対話し、彼らという鏡を通じて自分を映し、アイデンティティを築き上げていかなければならないのです。
このようなアイデンティティを築くことによって、私たちはしだいに強くなり、生きる自信と柔軟さを身につけるものです。
このようになると、自分の人生が喜びとなり、人を排除する強さではなく、人を受容する強さと温かさに満ちてきます。
これが私たちにとって、あまりに理想の生き方だとしても、それを目標に生きていたいものです。
私の小さい頃は子供は皆徒党を組んで遊ぶものでした。
そしてその子供たちは多かれ少なかれ悪ガキであったと思います。
つまりある程度悪いことをすることが、その仲間になれる条件であったのです。
私は小さい頃から母親が倫理的に非常に厳しかったせいか、あまり近所の子供たちのように物を盗んだり、あるいは人をいじめたりなどということをする子供ではありませんでした。
それでもグループの中に入って遊ぶことは何より楽しいものでした。
ただ、彼らがいざ悪事をはたらこうとする場では、私はこっそりと隅に隠れて、それをしないように努めていたものでした。
自分が彼らを批判できるほど強くなり、それどころかどこの集団にも一人ぐらいはいる 「泣き虫」だったので'悪いことをしないことでいじめられたくなかったからです。
しかしある時、ある店で万引きをしようということになってしまいました。
私も無理矢理急かされながらその店に入りました。
そして、私がただじっと見ていようとすると、友15 序章「いい人」であることの不安と自信だちが「おい、お前も万引きしろよ」と急かすのです。
無理矢理万引きをさせられそうになった私は、やっとのことで逃げることに成功したのです。
しかし、このような私の行為は彼らにとって偽善であり、普通の子供らしさではないということであったにちがいありません。
いわゆる子供なりの基準からみれば'私が仲間にふさわしくないことが確認されたのです。
何かというと私だけがそのグループの中で外れることが多かったものです。
それでも他に遊ぶグループがあったわけでもなり、このような子供たちに囲まれながら、私は小学生時代を過ごしました。
そのようなわけで、小学校六年生になった時、私は完全に孤立し、同じ六年生の親分株の少年とその仲間六、七人のグループとは、いつしか別れてしまいました。
私はその頃から本が好きだったり、昆虫採集などが好きだったので、いっそう彼らからは遠い存在になっていたのです。
†ケンカのできる子、できない子ところがある日、私が彼らが遊んでいるところへ行き「おい、俺も入れてくれ。
この辺でチャンバラごっこでもしないか」と言うと、親分株の少年から「お前がここに来て命令したってだれも聞かないんだ。
さっさとどっかへ行っちまえ」と言われたのです。
私はもちろん静かに去ることもできたのですが、その時、今までの彼らの行為に対し、いささか腹立たしい思いが湧いてきました。
それは少年的な悪さをすることで、その少年たちの特殊な結びつきを強め、良いことをしていれば外されるというシステムへの反発でした。
すでに小学校六年生となっていた私は、体もかなり丈夫になっていたので、初めて親分株の少年に向かい「この場所はみんなの場所でお前だけのものではない。
お前が俺を拒否することはできない」と言い放ったところ、突然ガツンと殴られてしまったのです。
そうなっていると、もはや私も引き下がるわけにはいきません。
夢中になって自己防衛もあり、また悔しさもあって殴りあいの大ゲンカになったのでした。
ごろごろ転がりながら、お互いに懸命に闘っていたのです。
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